プレゼンス

「プレゼンスの状態」は複雑ではない、それは単に自分自身に気づいている状態である。これを開始するのは難しいことではないが、それを継続することは困難である。この状態を継続することができると、「高次の自己」が目覚めて、「現在に存在」する。「中今(なかいま)を生きる」という神道から由来する言葉はちょうどそういう意味である。その意味は、過去のことを考えず、未来を心配せずに、この一瞬一瞬、「今」を生きているということである。

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「想起」の修行を続ける以外に「神聖なるプレゼンス」 に到達する方法はない。-- クシャリ(11世紀のペルシャスーフィーマスター)
神聖なるプレゼンスをあなたの行き先にしなさい。
-- アル・ガザーリ(11世紀ペルシャの神秘的なスーフィー)
あなたが、プレゼンスの言が何であるかと尋ねたら、私たちは「存在、Be」、と返事をする。-- イブン・アラビー(13世紀、イスラム神秘主義者) 
存在するかどうか、それが問題である。
-- ハムレット、シェークスピア

「現在に存在すること」はすべての秘教的(エソテリック)な伝統の中心であり、多くの異なる方法で話されている。それは無言の状態で、言葉は必ずしもそれを記述するのに十分でないために、プレゼンスの各説明は、それの一側面しか示さない。 「プレゼンス」のさまざまな象徴は、「プレゼンス」の状態を異なる観点から見る方法である。それらは同時に真実であり、共に「プレゼンス」は何であるかということをもっと良く理解する助けになる。しかし最終的には、人は「プレゼンス」を経験するときにしか本当に理解することができない。

この世界では忘れてはいけないことが一つある。 他のすべてのことを忘れても、このことだけを忘れないならば、心配する必要はない。 一方、もしあなたがすべてのことを行って、覚えて、一つのことも忘れず、しかしこのことだけを忘れるならば、あなたは何もしていないのと同じである。
-- ルーミー(13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人)

「プレゼンスの状態」は真実とも呼ばれる。以下の絵で、ピラトはキリストに「真実とは何であるか?」を尋ねている。最高の真実、つまり「プレゼンス」の状態は、言葉では表わせない状態であるため、キリストは沈黙している。

ピラトの前に引き出されたイエス、ドゥッチオ作、
1308年〜1311年(イタリア、シエナ、ドゥオーモ附属美術館)
最高の真実は、言葉にすることができない。 -- 老子
唯一の真実は神である。
-- グル・ナナック(16世紀の最初のシーク教の教祖)
天と地の真実に騎乗する者は、6つ呼吸の変化に乗って、無限である者の間に彷徨う。 -- 荘子
私は純粋な仕事の真実を教えるだろう、そしてこの真理は汝を自由にするだろう。-- 『バガヴァッド・ギーター』(ヒンドゥー教の聖典)

「プレゼンスの状態」は解放とも呼ばれている。なぜならば、人間が毎日をその中に費やしている心理的な睡眠の状態は、刑務所に例えられるからである。

聖ペテロの解放、サルヴァローザ作
解放への道は、何かになろうと望まずに、自分が現在に生きていることを訓練することである。 欲求せずに生きて、これになりたい、あれになりたいというのをあきらめ、完全な注意を持って、現在の瞬間を経験しなさい。
-- 仏陀
あなたは自分の状況を理解していない。あなたは刑務所にいる。 -- グルジェフ(20世紀第四の道の神秘思想家)
解放へと導く六つの方法がある。-- ミラレパ(11世紀のチベットヨギ)
永遠のランプは、完璧な気付きを表わしている。気付きの光をランプの光に例え、 解放を求める人たちは、自分の体をランプと見なし心を芯として、油として規律を加え、そして知恵の力をその炎と見なす。
-- 達磨(6世紀の禅宗の開祖)

「プレゼンスの状態」は悟りとも呼ばれている。

6つの大きな地蔵菩薩と4つの小さな地蔵菩薩(東京、南谷寺)
知恵には四重と六重の発現がある。しかし、物事に対する識別を超越する知恵は現在ここで我々の目の前に現われている一つの表現を持っている。それは、完全な絶対的な悟りである。
-- 道元(13世紀の日本の禅僧
菩薩はすぐに現実と正覚を達成するために、常に六波羅蜜をすべての状況で適用する必要がある。-- ガンポパ(チベット仏教、12世紀のカギュ派の開祖)
悟りに向かうすべてのステップは、悟りそのものである。-- 仏陀
悟りを達成するのは最高の幸せである。-- 仏陀

「プレゼンスの状態」は幸福とも呼ばれている。通常は幸福と考えられているものは外部刺激に依存している。それは常に一時的で、それが過ぎ去ったり欠落していると、人を不幸にする。「プレゼンスの状態」から結果として生まれる幸せは自分だけに依存する。 自分は「現在に存在している」という奇跡を経験するので、幸せである。これは唯一の真の幸福であり、最終的に恒久化することができる。

布袋(ほてい)
睡眠は魂の不活発である。幸福は、魂の高潔な活動である。-- アリストテレス(4世紀の古代ギリシアの哲学者)
不幸であるときに幸福であること。それは完璧である。
-- ファリドゥディン・アター(12世紀スーフィーの詩人)
最初の訪問の結果は神への真の帰依である。 第二の結果は自己意志とすべての情念の苦行である。第三の結果は完璧な幸福である。
-- リヴォーのアウレッド(12世紀のキリスト教の聖人)
皆がカップの麓に6つ花びらを置くと、幸福の季節がやってきた。-- ハーフェズ(14世紀の詩人)


「プレゼンスの状態」はヨガとも呼ばれている。

その上に6つの門と4人の敵の死体があるミイラ、
(エジプト、王家の谷、ラムセスVとVIの墓からの壁画)
ヨガは心の揺らぎの制限である。
-- パタンジャリ(2世紀のインドのヨギ)
これら6つのガイドによって導かれて、あなたはヨガの幸せな平野、すべての識別がなくなり非分化である領域に到達するだろう。-- ミラレパ(11世紀のチベットヨギ)
ヨガの状態sを目指す人は、瞑想を通して内面の孤独の中に己を求めなさい。-- 『バガヴァッド・ギーター』(ヒンドゥー教の聖典)
何もせず、心配することなく、墓地に静かに横たわっている死体のように、無為のヨガは幸せである。
-- ミラレパ

「プレゼンスの状態」は、それを確立するために苦労した後に来る平和とも呼ばれる。人は精神的な努力の身体が死んだ後に平和な休息をとる。(rest in peace)

自分の頭の中の戦いを観察するマンジウン、
ペルシャミニチュア
意識の安静時のままで、自分は身体と違うということに目を向ければ、あなたは今でも幸せに、平和に、煩悩から自由になれる。-- 『アシタヴァクラ・ギーター』(ヒンドゥー教のテキスト
平和に、幸せに目覚めなさい。-- 『口を開くの書』、エジプトのテキスト
現在、私は自分を知っている。そして自分の中にこの世のすべての尊厳を超える平和を感じている。
-- 『ヘンリー八世』、シェイクスピア
生命の呼吸を安定的に送り出し、制御することによって、平和に到達することができる。
-- パタンジャリ(2世紀のインドのヨギ)


プレゼンスの状態は「聖霊の息」または「生命の呼吸」とも呼ばれる。これは物理的な身体を養う息を表わすのではなく、「プレゼンス」の状態に、呼吸によって象徴される生命を与えるものを意味する。

父なる神とキリストは生命の呼吸を制御する(パリ、ルーブル美術館)
生命の呼吸は生命の意識なのである。--『ウパニシャッド』 (ヒンドゥー教のテキスト)
天と地の真実に騎乗する者は、6つ呼吸の変化に乗って、無限である者の間に彷徨う。
-- 荘子
この不滅の四つの呼吸は、眉間の奥、精神の元に隠されている。
-- 「趙避塵 」(20世紀、道教の老師)

禁欲主義者が最終的にすべての美徳を獲得している時、恩寵は彼の全存在をより深い意識で照らす。今からは、火のような悪魔の矢は、肉体に到達する前に消滅させられる。なぜならば、空中にある間、聖霊の息がそれらを消滅するからである。-- フォティキのディアドカス『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)

「プレゼンスの状態」は恩寵とも呼ばれている。

死のダンス、15世紀(スイス、ベルンのミュンスター)


アラーの恩寵は一つの言葉「存在(Be)」で、心に留められている。-- 『アラビアン・ナイト』
恩寵が絶えず活発であると同時に、心を汚す悪が存在することは可能である。-- シミヨンのメタフラスチス『フィロカリア』
恩寵は人間の意志に依存しない。恩寵は神の意志によって行き来する。 -- 長老のソフロニー 『フィロカリア』


上の画像で「低次の自己」は「現在に存在する努力」を殺そうとする。 心を象徴する僧は彼を無視し、「プレゼンス」に集中している。僧の片手には6つの指があり、別の手には4つの指がある。指は「現在に存在する」道具を象徴する。

恩寵のエネルギーは、喜びで心をいっぱいにする精神的な火の力である。それは魂を温め、安定化し、浄化し、一時的に自分の挑発的な思考を静止し、しばらくの間、身体の衝動を中断する。
-- シナイのグレゴリ
『フィロカリア』

「プレゼンスの状態」は光とも呼ばれている。

祝福のアセント、ヒエロニムスボッシュ作、15世紀
(ヴェネツィア、ドゥカーレ宮殿)

祈る人の中に、恩寵は違った方法で作動し始める。遂に神は優しく穏やかな光の流れを生成する。
-- シナイのグレゴリ『フィロカリア』

光を賜う「プレゼンス」から、最も寛大に、予言のように、指導の戒律が創造される。-- スルタン・バフ(17世紀のスーフィー神秘)

実在しないことから実在することへ、暗闇から光へ、死から不滅へ私を導いてくれる!-- 『ウパニシャッド』 (ヒンドゥー教のテキスト)

六日ののち....彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔は太陽のように輝き、その衣は光のように白くなった。-- 聖書、 マタイによる福音書 17:1-2

右の画像では六人(トンネルの外に四人、トンネルの内側二人)は、光に向かって持ち上げられた。


「プレゼンスの状態」は法身とも呼ばれている。仏教における法(サンスクリットでダルマ)の本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、「プレゼンスの状態」を保持する法を示す。 法はまた仏の教えを指すために使用される。これは釈迦が再発見され、世界と共有された自然な法または真理を意味する。

智拳印(六界)を見せる大日如来坐像 
運慶作 1176年(奈良、円成寺所蔵)

純粋な法身とは何であるか?心の本質の中のすべてのもの、例えば空の紺碧または太陽と月の輝きは、雲で隠された時にはその明るさが淡色で現われる。しかし雲が吹き飛ばされるとすぐに明るさが戻り、すべてのものが完全に光り輝く。これは法身と呼ばれている。
-- 慧能(7世紀の中国禅宗の六祖)
ダルマの音、六音節。-- 『チベット死者の本
六行は四つの法身を生産する。-- 空海(9世紀の日本の真言宗の開祖)
始めの6つの段階は準備としてみなすことができる。決定的な段階(第七段階)は、菩薩がしがみついているすべての感覚から完全な自由へ到達する段階である。これは法身を取得する段階である。
-- 龍樹(2世紀のインドの仏教 の僧)


空海によると、大日如来は法身を表わす。

「プレゼンスの状態」では、人は神を知り、神を実現し、または神になる。

神は言う、「おお人間よ!私の法に従うならば、汝は私のようになるだろう。それから『存在(Be)』と言いなさい、そしてご覧なさい、そうなった」-- ムハンマド(イスラム教の開祖)                            
魂の統一性の謎と神性があなたに明らかにされるとき、自分は神と違っていない、ということを理解するだろう。それから、自分のすべての行動は彼の行動であって、自分のすべての属性は彼の属性であり、 そして自分の本質は彼の本質であるということを見るだろう。 -- イブン・アラビー(13世紀、イスラム神秘主義者)
魂は第七面で、神の実現を達成する場合のみ、その喜びを完全に制御する。
-- メヘル・バーバー(20世紀のインドの神秘的なマスター)
天国へ導く十ステップがある。この十ステップを通して神を知ることができる。はしごは確かに短いかもしれないが、 心の中でそれを経験することができるならば、
あなたは世界が含むことのできない富を見つけるだろう。
-- 僧・セオファナス『フィロカリア』

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