円、四角、三角

神道のシンボル、正方形、円、三角形

円、正方形、三角形と太陽、月や星














人間は3つの重なっている要素に象徴される。ピラミッド、正方形と円。 -- ゾロアスター(ゾロアスター教の開祖)

丸を描ている孙悟空
「お師匠様はこらえ性のないおかた、一つ安心の呪文をしてさしあげます」と言って金箍棒を取りだすと、平らな地面にぐるりと丸を描きました。その丸の真ん中に三蔵法師を座らせ、八戒と悟浄をその左右に立たせ、馬と荷物をその近くに寄せました。そして三蔵法師にむかって合掌し言うには、「私が描いたこの丸は、鉄や銅の城壁よりもっと頑丈なのです。いかなる虎豹や狼蛇や、妖魔や化け物だって近づくことはできません。ただしですよ、この丸から外に出てはいけません。なかにじっと座っていることです。そしたら、安全に守ってくれます。一歩でも出たら最後、必ず 妖魔毒手にやられます。いいですか、くれぐれも守ってくださいよ」
-- 西遊記

頭の中にぐるぐる回る多数の思考や感情
(15世紀のオランダ絵画)

「 西遊記」という中国の小説は、阿弥陀仏の西の楽園、または「プレゼンスの状態」への内的な旅の象徴である。三蔵法師は心、または「 現在に存在したいという願望」を象徴する。孫悟空は「現在に存在したいという願望」を保護する知性を象徴する。トラ、ヒョウ、オオカミ、鬼、悪魔や怪物はすべて「現在に存在する」ための努力を妨害しようとする思考や感情、つまり「複数の<私>」を象徴する。円は、頭の中にぐるぐる回る多数の思考や感情から守る呪文やマントラを象徴する。その思考や感情から自分を守ると、高次の自己のプレゼンスが現れるための空間が創造される。



心は自己想起の円に従事する。 
-- ハフィス(14世紀のイスラム神秘詩人)
本質的な生命の科学は、原初の解放され非具体化された真の一つのエネルギーを育てることで開始および終了する。このエネルギーは物質でも非物質でもないし、形状または形式がない。それにもかかわらず、 
これは円の象徴で表わされ、様々な名前で呼ばれている。-- 劉一明(18、19世紀、道教の老師)     

円は原初の解放され非具体化された真の一つのエネルギー、つまり「神聖なるプレゼンス」のエネルギーを育てる始まりと終わりを象徴している。

円を描いて歩いている道士


人の心と知性は混乱の中にある。 一つのことに
集中すると、 心が純粋になる。 悟りに到達する
場合には、 
円に沿って歩いて練習する必要がある。
-- 道教のテキスト



これらの写真では、人々は「外的な意味」を行っている。道士には円を描いて歩くという訓練があり、イスラム教徒は正方形のカーバ神殿の周囲を七周歩きながら自分の外部の神へと祈り、「外的な意味」を行う。「内的な意味」は「内なる神」つまり「神聖なるプレゼンス」の状態に到達する努力を思い出すための六つの短い言葉を使うことである。七周目はユダヤ教とキリスト教の安息日に表わされる長く継続する「プレゼンス」の状態を象徴する。

人々は正方形のカーバ神殿の周囲を歩き回る

(メッカ、サウジアラビア)

カーバ神殿盧周囲で円形になって祈る人々
















仏塔の周りを巡ることに関して、仏塔はあなたの体と心である。注意力が停止せずあなたの体と心の周りを巡るとき、これは仏塔を巡ると呼ばれている。昔の聖人たちはこの道で涅槃に到達した。-- 達磨(禅宗の開祖)
自分の内的な寺を巡りなさい。-- ハフィス(14世紀のイスラム神秘詩人)

日本の文化では例えば「念仏」、つまり「南無阿弥陀仏」という6音節の祈りを唱えることによって、阿弥陀仏の極楽浄土に往生できるのと同じ「内的な意味」がある。

神社に於ける儀式で両手を広げる
相撲力士

両手を広げたハート形の顔の土偶
(縄文時代、紀元前10.000〜1000)

礼拝で両手を広げ、私の心から湧き出る韻文的な語句で表わされる神への崇拝と情熱的な祈りを持って、私は神の周りを巡る。
-- ゾロアスター(ゾロアスター教の開祖)

祈りの「内的な意味」は持続的な努力を通じて「内なる神」を目覚めさせることである。

一言で言えば、儀式の祈りの精神は意識的な気づきである。
-- アル・ガザーリ(11世紀ペルシャの神秘的なスーフィー



禅画の空虚の円





この禅画の円の中の空虚は、「プレゼンス」の状態を長く継続させる無心さと「複数の<私>」が存在していないことを象徴する。





北日本には縄文時代中期後半の約30のストーンサークルが散在する。 こうした場所には人間の居住の跡形がなく、お墓として使われているわけでもない。このことは、ストーンサークルが儀式用(おそらく宗教的な儀式)に構築され、冠婚葬祭だけに使用されていたことを示唆している。 英国とアイルランドには約1000のストーンサークルがある。

野中堂環状列石(秋田県鹿角市)

忍路環状列石(北海道小樽市忍路)








神の性質は、その中心はどこにでも存在するが、その周囲はどこにも存在しない円である。-- 聖アウグスティヌス(5世紀、キリスト教聖人)

円形に立っている力士の相撲の儀式

相撲の土俵













イエスは、円を形成しお互いの手を握って、と言った。 そして、彼自身は、真ん中に立って言った。「私にアーメンで応えよ」 -- グノーシス文書、ヨハネの行為

相撲の土俵は、正方形内の円である。 相撲の起源は神道の儀式に関連付けられている。

手水鉢(京都、龍安寺)

この京都の龍安寺の手水鉢に円と 正方形がある。示された文字、吾/唯/知/足の意味は「高次の自己が目覚めるとすべてにおいて満足する」ということを示している。

私の安息日は円そしてその中の正方形
を示している、と神様が言う。 
-- カバラ、ゾハル
大道は、無為で、自然である。 十分な努力がされていない場合、正方形と円が遠くなる。-- 劉一明(18、19 世紀、道教の老師) 


知性と心を表す中国の旧正月の装飾、
ゴールデンボーイ、ジェイドガール

伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)は天の浮橋の上から降り、淤能碁呂嶋(おのごろしま)を自宅とした。 彼らは愛に落ちたため、最終的には、一つになりたいと望んだ。 そのために嶋に天之御柱(あめのみはしら)を立て八尋殿を立てた (その建物の一辺の長さは'8腕')。伊邪那岐は右から伊邪那美は左から天之御柱を廻って、反対側で逢い一つになった。-- 古事記

この神話の引用では、知性と心を象徴す伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)が正方形の八尋殿を構築し、円に沿って歩いて一つになる。これは、「神聖なるプレゼンス」の状態を創造する知性と心の精神的な合体の象徴である。



神聖なる正方形を吟唱しながら、そこから出て前に進む。全部の側から、古いもの、新しいものから、完全な神格化の正方形から、固体、四面から(すべての辺が必要)、 こちら側から私はエホバである。-- ウォルト・ホイットマン(19世紀アメリカの詩人)

四つの顔があるブラマー、 アンコールワット、12 - 13世紀(パリ、フランス、ギメ美術館 )

正方形は、第七から第十の牛画と同じように「内なる神」が目覚めていって、長く継続する「プレゼンス」の状態を象徴する。高次の自己はブラマーの四つの顔のイメージが示すように客観的な意識がある。人間には一つの顔しかないから、一つの方向しか見ることができない。これは人間の主観性と人間の眠っている状態の部分的な意識を象徴する。


それを別の言い方をすると、この四つは神として一つで、一つは四つである。 しかし、我々は神の単純さを把握することはできない。我々は彼が一つであると理解するように努めているが、彼は 四面性をもって、我々の前に現われる。-- クレルヴォーのバーナード (12世紀フランスの修道院長)



正方形顔の面
(メキシコシティ、国立人類学博物館)

正方形の第三の目がある教師
(チベット 、14〜15世紀)
顔はそれ自体が正方形を形成している。
-- レオナルド・ダ・ヴィンチ
一尺方形の家の一寸方形のフィールド
の中に、翡翠の寺院の至高の無と光の神が宿る。 -- 黄金の華の秘密『太乙金華宗旨』
この不滅の四つの呼吸は、眉間の奥、
精神の元に隠されている。 -- 「趙避塵 」(20世紀、道教の老師)


酒の升とグラス

酒を奉仕












ワインや日本酒は「現在に存在する状態」の象徴である。そのために日本では儀式や神社に酒樽を見ることができる。日本の多くのレストランでは、酒を木製の四角い升の中にあるグラスに注ぐ。グラスに酒を注ぐということはマントラを通して、「プレゼンスの状態」が徐々に強くなることを象徴する。酒が四角い升にあふれるということはマントラを唱え終わった後、長く継続する「プレゼンスの状態」に達することを象徴する。

恵みから受ける言葉は溢れるカップのようなものである。 -- フィロカリア文中、シナイのグレゴリ
すべての瞬間、このカップ(聖杯)は本当のビジョンで満たされる。 これは私のワインで、与えられた瞬間を飲む。 
-- バウハウディン(12世紀のスーフィー学者や詩人)
太陽はワインで、月はカップである。月に太陽を注ぎなさい。 
-- ハフィス(14世紀のイスラム神秘詩人)

茶室も正方形である。茶道において主人と客の儀式の動作はすべて、長く継続する「プレゼンスの状態」を創造することを目的としている。不必要なおしゃべりを排除し、意図的に動くことによって、自分自身の中にこの状態を創造することができる。茶はワインと同様に長く継続する「プレゼンス」の状態の象徴として使用される。

茶室の描画

一碗飲めば喉や口が潤い、
二碗飲めば寂しさと鬱を除き、
三碗飲めば干涸びた腸を探り、
中は五千巻の書物があるばかり、
四碗飲めば軽い汗が出て、
今までの不平不満が毛穴から抜ける。
五碗飲めば肌や骨まで清らかになり、
六碗飲めば仙界へ通ずる。
七碗はもう飲めない。
両袖から清風が吹き抜けて行くのを感じ、
不死の島へと浮かんでゆく。
-- 盧仝、8世紀の道家詩人

能舞台も正方形である。

能舞台の図


















能舞台の背面にある松の木
能舞台の背面にある、鏡板と呼ばれる木製の壁神が宿る。この壁に描かれた老松は神の住居を象徴する。 舞台は現在の世界、
舞台裏は死者の世界を表わしている。 
-- 磯崎新 (日本の現代建築家)

正方形のステージは「神聖なるプレゼンス」を象徴し、松の木は「内なる神」の存在を表わしている。

私は命の木と一体になっている。 私の栄光は山の頂上へと上昇する。 私は自己を実現している。 -- ウパニシャッド(ヒンドゥー教のテキスト)


神籬

神籬(ひもろぎ)というのは地鎮祭に使用される一時的に建立された神聖な正方形または立方体の空間である。神社が作られる前の古代日本では、宗教的な儀式は、神が招待されるこれらの正方形の神聖な空間で行われた。その空間の中心に、神または「高次の自己」が下りる榊の枝を置いた。榊の枝は、「プレゼンス」を望んでいる心の象徴である。

願望があるときは、命の木を得たようだ。-- 聖書、箴言13章12話
私はケツァルコアトルである。私も同様に天と地を愛し、生命の木の4つの枝を植えるようになった。 -- マヤのテキスト

千本以上の鳥居(京都、伏見稲荷神社)





神道の鳥居の朱色の部分は正方形である。 日本と中国の信仰によると、朱色は悪魔や病気を追放する色、つまり「複数の私」を取り除く色である。「プレゼンス」の継続という火を通して、人は自分のすべての思考や感情を上昇させる。 神道の鳥居というのは俗界から神聖な世界までの移行、つまり「睡眠」の状態から「神聖なるプレゼンス」の状態の遷移を示す。







いくつかの神社では鳥居の前に円形の注連縄を使用し、浄化の儀式を開催している。 浄化の「内的な意味」は「内なる神」を出現させるために、俗事と懸念している複数の思考や感情から自分を浄める。

神社の茅の輪潜り























円、正方形、三角形と太陽、月や星


太陽、月、星の存在するスピリチュアルな天界は、気づきの状態に達した者の清められた心の中に造り出される。-- フィロカリア文中、シナイのフィロテオス

自分の内的世界、自分の内的宇宙は、太陽系の設計に似ている、上の如く下も然り。神道の宇宙論では、正方形は太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)を示し、円は月の神月読尊(つくよみのみこと)を示し、そして三角形は星の須佐之男命(すさのおのみこと)を象徴している。




宇宙、仙厓(1750-1837)による

正方形、円、三角形、神道のシンボル















太陽が上にある正方形ベースのピラミッド(エジプト 、ギザ)


人間は3つの重なっている要素に象徴される。
ピラミッド、正方形と円。 -- ゾロアスター(ゾロアスター教の開祖)
しっかりと確立された状態で我々が前方に押し始めるとき、私たちの精神的な手順を案内するために心の手が持ち上げたランプが、最初に私たちの心に現れる。その後に、心の中の空に回る満月が来て、そして最後に、太陽が来る。-- フィロカリア文中、エルサレムのヘシキス

「円、三角、四角の庭」の看板
(京都、建仁寺)

命の木がある「円、三角,四角の庭」
(京都、建仁寺)


京都の建仁寺に、「円、三角、四角の庭」がある。宇宙の全てのものは、円、三角、四角の形態によって表現されていると言われている。

太陽は何であるか?正に宇宙の本質である。 
 -- ケツァルコアトル
(メソアメリカの神)



太陽はエジプトの太陽神ラー、大日如来と天照大神のように、「プレゼンス」が長く継続する状態を象徴している。 したがって「神聖なるプレゼンス」は、宇宙の本質である。宇宙という単語に「内的な意味」がある。

宇宙の十方が、我々の晴れやかな光る本当の自己である。道玄 『正法眼蔵』
心は善と悪の根である。それは低俗になり、賢明になることができる。 それの動きと静止は計り知れず、 限りなく広大であるために、宇宙と呼ばれている。-- 慧能、『金剛経』の注釈
宇宙を吸って吐き出すのはブラーマである。 -- ウパニシャッド(ヒンドゥー教のテキスト)

「プレゼンス」が長く継続する状態に関連するすべてのものは、円、三角、四角で表わされる。

太陽「天照大神」は、昼間を支配し、私たちの内なる光「神聖なるプレゼンス」の状態を象徴する。「プレゼンス」がない場合は、月「月読尊」が照らして夜を支配する、つまり人間が毎日の殆どを費やしている「睡眠の状態」である。 月はグルジェフが「執事」と呼ぶ、自分を支配する能力や心を象徴する。「執事」は私たちを「プレゼンス」の状態に取り戻そうと試みる。 グルジェフは自分の中に月を造ることについて話した。その意味は自分の中に、睡眠ではなく「現在に存在する」ことを思い出させ続ける「執事」または支配の原理を造ることである。

自分の中に月を造るという意味は何ですか? ...最初のステップは、永久的重力センターを造ることである。 自分の中に月を造るということはそういうことである。 
 -- ウスペンスキーによるグルジェフの言葉の引用(20世紀第四の道の神秘思想家)

古代では、夜間において星が海でのナビゲーションの役割を果たしていた。星「須佐之男命」は「内なる神」が目覚めることを喚起させるための短い言葉を象徴している。 日常的な活動に捉われているとき、人は突然自分が眠っているということを認識し、「現在に存在しなさい」と自分に指示する。星というのは私たちの目的地、つなり現在の瞬間へ導く、闇の中の小さな光の煌めきである。

三十星があるドアに向かっている夜航の中のエジプトの太陽神ラー、
アニのパピルス
神聖なるプレゼンスをあなたの行き先にしなさい。-- アル・ガザーリ(11世紀ペルシャの神秘的なスーフィー)
星たちは神聖なる想起を行っている。-- スルタン・バフ(17世紀のスーフィー神秘)
星たちは、神の聖なる十戒である。-- フィロカリア文中、シミヨンのメタフラスチス

あなたが暗闇の中で行き先を見つけるために、星たちを設置したのはアッラーである。 -- コーラン

English 日本語

「第四の道と秘教的な伝統」⎟ 「西遊記」⎟ 「神聖なるプレゼンスの技術」


英語: The Secret of the Golden Flower ⎟ The Taoist I Ching ⎟ Being Present First


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