禅宗と道教の十牛図

禅宗と道教の十牛の絵は十呼吸に渡る「生命の呼吸」またはプレゼンスを表わす。 第一から第六の絵では、子供が牛を見つけ、それをコントロールしようと格闘している。 牛は「低次の自己」を表わす。(雄牛の象徴の詳細についてはこちらへ: 低次の自己:人間の動物的な側面 )。通常の意識状態では、我々は「低次の自己」であるため、それを認識することができない。

最初の三牛図、徳力富吉郎作

自己意識を持ち始めたときにのみ、我々のアイデンティティーは 「執事」又は「道の心」(「睡眠状態」から目覚めようとする部分)に置かれ、「低次の自己」に気づくようになる。



瞬間ごとに「低次の自己」から偽りの行為が涌き起こる。-- ルーミー (13世紀、スーフィーの神秘詩人)

この子供は、グルジェフが「執事」と呼ぶ「支配の原理」または「道の心」を象徴している。執事または「道の心」が子供として例えられている理由は、「神聖なるプレゼンスの状態」を体験したければ、人工的で複雑であってはならないからである。それは無邪気で単純であることを必要とする。

「よく聞きなさい。心を入れ替えて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう」。
-- 聖書、 マタイによる福音書、18章 3話

最初の六つの絵では、「低次の自己」を制御するために行いが必要とされている。第六の絵では「低次の自己」が制御されていることを示している。

生命の丹術の秘法は、「無為」を達成するために「有為」を用いることにある。
-- 『太乙金華宗旨』(黄金の華の秘密、道教の瞑想指南書)
大いなる道は自然で無為である。 なぜ意図的な方法を用いる必要があるというのか。その理由は、弊害を取り除くためである。すべての弊害が効果的に取り除かれると、その方法はもはや必要でなくなる。これは、川を渡るために必要ないかだは川を渡った後は置いておかれ、魚を捕まえるために必要な網は漁の後にしまわれるのと同様である。-- 劉一明(18、19世紀、道教の老師)
道の心は、一時的なものから生み出される現実の先天な宝石である。 それを使用する時があり、使用しない時がある。金丹を結晶させる前に、「人間の心」の霊知[霊妙な知]に管理するために「道の心」の真知[真正な知]を使用する必要がある。 人間の心は静かで、分別する意識が消滅した後には、「道の心」は機能する必要がない。-- 劉一明、『悟真篇』の解説

十牛の画、徳力富吉郎作

獅子の上に座す文殊菩薩

雄牛ナンディに乗る十腕のシヴァ、 サイアム



「菩薩様…」猿(孫悟空)は言った。「奴は、あなたの宝座の下から姿を現わした青い毛をもつ獅子ですよ」。菩薩は呪文を唱えて叫んだ。「真理へと帰れ、獣よ。何を求めているのか?」 するとようやく魔王は元の姿へと戻った。文殊菩薩は化物の上に蓮の花をおいて飼い慣らし、その背中に座った。--『西遊記』、第29章


信ずる者が低次の自己を克服し、その上に座るようになれば、心の偉業は顔に輝き出る。
-- アル・ジラーニ (12世紀、スーフィーのマスター)
天の精神(高次の自己)が人を治めるとき、人の獣性はその正しい場所におさまる。 -- 『易経』
ロバ上のイエスは、どのように理性が動物的な本能を制御するかの象徴である。あなたの精神をイエスのように強くしなさい。その部分が弱くなると、使い古されたロバは、竜に変わってしまう。
-- ルーミー (13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人

キリストは、ロバに乗って、エルサレムに入る
( シャルトル大聖堂、フランス)

水牛に乗る老子














すべての秘教的な伝統は、「高次の自己」が徐々に目覚め、「低次の自己」が制御される過程を、六つの段階で示している。

「一陽」が発動する時点では、「道の心」の真知 (真の気づき)としての「陽」の光がかきたてられ ながらも、まだそれほど活発になっていない段階 である。そのときにのみ、天の根源の片鱗が姿を 現す。この時点で、すぐに火を強め、「陽」を集めて進化の炉に入れ、「一陽」が「六陽」の完全なる 純粋さにいたるまで、それを徐々に集めて徐々に 純化する作業に取りかからねばならない。-- 劉一明、『悟真篇』の注釈の解説

一本の陽から六本の陽への成長。左側は「復」、右側は「乾」の卦。


闇から光に上がる六人(祝福のアセント、ヒエロニムスボッシュ作、15世紀、ヴェネツィア、
ドゥカーレ宮殿)


天と地の真実に乗る者は、6呼吸の変化に乗って、無限の間に彷徨う。-- 荘子
終始本来備わっている創造の神秘を理解する聖人は、一時的なものへの制限を超える。 彼にとって時間とは、成長の段階が明確な順序で繰り広げられるところである。彼はあらゆる瞬間に留意し、六つの龍(上の図の右側「乾」の卦の六本の線に対応している)に乗って天国に登るように、六つの成長の段階。-- 『易経ページ371,第一の卦䷀「乾」(天)』の解説、(ヴィルヘルム/ベインズの英語版)
主は六日のうちに、天と地と海とその他すべてのものを造られ、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福し聖とされた。 -- 聖書、出エジプト記、20:11

「復」䷗は発達上のものである。「 道」をさかのぼっては、七日で戻り、目的地を意識していることが有益である。 それを行う方法は、少しずつそれを復元し、順番通りに作業していくことである。すぐにそれを復元することはできないし、すぐにそれを定着させることもできない。時間をかけて、まず自分自身を改善し、心を習得することが必要である。だから、「道をさかのぼり」「現実は七日間で戻る。」-- 劉一明(道教の易経)第二十四の卦「復」䷗の解説)



残りの4つの絵は、「低次の自己」が制御された後に、「現在に存在する状態」が生ずることを示している。それらの絵は休息と空虚の4呼吸である。始めの6つの呼吸や行動の段階では、人は現在に存在しようとするために短い言葉を用い、その後、現在に存在する状態を維持するために残りの4つの呼吸がある。

丹道は、「有為」から始める必要があり後天(一時的なもの)の中に先天(根源的なもの)なものを復元し、人の本来の命の宝を回復する。命の宝を手にした時、「真空性[空の本質]」を実現し、「無為」の道に進み、統一性を維持する。 「有為」を知らず、ただ「無為」を知っている人はどうすればよいのだろうか。-- 劉一明、『悟真篇』の解説

この不滅の四つの呼吸は、眉間の奥、精神の源(第三の目)に隠されている。 -- 「趙避塵 」(20世紀、道教の老師)

6つの大きな地蔵菩薩と4つの小さな地蔵菩薩(東京、南谷寺)



始めの6つの段階は準備とみなすことができる。 決定的な段階(第七段階)は、菩薩が執着しているすべての感覚から、完全な自由へ到達する段階である。 これは法身を取得する段階である。
-- 龍樹
六大(六つの要素)は四つの法身を生む。-- 空海(9世紀の日本の真言宗の開祖)



四本の腕が上に、六本の手足が下にある観音菩薩。 阿弥陀仏は頭の上に座っている。
(中国の複製品)

すべての「秘教的伝統」は、それを通して、人が浄化され、神を知り、天国や楽園にたどり着くことができる、10ステージについて語っている。 すべては、「高次の自己」のプレゼンス(存在)を示している。

菩薩は「般若波羅蜜多」(彼岸に到達するための知恵)の強力な知識を、十種類の浄化と癒しの活動、 無色界の四つの界と、六形態の超知識に展開する必要がある。-- 般若経
もし常に10善行を実行したならば、楽園はすぐあなたに現われる。-- 慧能
天国に導く10ステップがある。10ステップで、神を知るようになる。はしごは、確かに短いかもしれないが、もしあなたが心の中でそれを体験することができるならば、あなたはこの世に存在しない富を見つけるだろう。-- フィロカリア文中、モンク・セオファナス






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