合気道

合気道は神道宇宙論から進化し、それを反映している日本の武道である。合気道の意味は「気」を調和することである。合気道家は攻撃の気・エネルギーの圧力と直面するよりも、調和して円運動に変換することによって攻撃者を無力にする。

植芝盛平

レオナルド・ダ・ヴィンチのバプテストの
ジョン(パリ、ルーヴル美術館)



武道が誤解されている。それは殺したり、破壊する方法ではない。 本当の 武道は平和の技術と愛の力である。-- 植芝盛平

戦士というのは、「神聖なるプレゼンス」の状態に連れ戻す支配の原理の象徴である。この状態では「高次の自己」が目覚めており自分と周りの世界に対して平和であり、真の愛を経験する。



人間は通常、恋に落ちている人によって刺激されている時しか、愛を経験しない。愛を経験しているしばらくの間、カーペンターズの歌「トップ・オブ・ザ・ワールド」の作詞が描写するようにすべてが美しく、特別であると感じている。そのときは、通常であれば自分を動転させる物事も、自分の状態に影響を与えない。

なんて素敵な気分なのかしら
見るものすべてが驚きよ
大空に雲ひとつなく
目にはお日さまが映るだけ
これが夢でもぜんぜん驚かないわ
私が望んでいたものが全部
今特別に叶えられようとしてる
理由はカンタン
それはあなたがここにいるから
あなたは私が知る中で最高に天国みたいな人
私は今世界のてっぺんから
下界の創造物を見下ろしてる
その理由はただ一つ
あなたと出逢って知った愛のせい
あなたの愛が私を
世界の頂上に舞い上がらせたの
-- ジョン・ベティス とリチャードカーペンター
スーフィーの詩が、「最愛なる者」との分離または一体化に言及するとき、スーフィーはそれが神との分離または一体化という意味であると理解している。 -- アル・ガザーリ(11世紀ペルシャの神秘的なスーフィー)
プレゼンスは、我々が「最愛」と呼ぶものである。-- ルーミー(13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人)

「神聖なるプレゼンス」の状態はこれと非常に似ているが、ただそれは人によって刺激されるのではなくて、自分の中に由来する。「最愛」または「高次の自己」が目覚めていて、そのことに感謝し、あらゆることに対して愛を感じている。

全ての愛は「プレゼンス」と接続されている。 -- ゲーテ(18世紀ドイツの詩人、作家)
輝かしいが隠れた自己は心に宿る。彼は愛の源泉であり、考えではなくて、 愛を介して知ることができる。
-- 『ウパニシャッド』(ヒンドゥー教のテキスト)

合気道の試合

「高次の自己」に到達する方法は戦いに例えられた。合気道と相撲の両方はこの戦いを象徴する。すべての聖典には戦争の一節がある。

天の扉を開くための戦争がある。 
そのような運命に生まれた戦士は幸いである。 -- 『バガヴァッド・ギーター』(ヒンドゥー教の聖典)
精神的な戦士は、外側の敵を持っていない。-- アブー・バクル(7世紀の最初の イスラム教徒カリフ)
道に従う者が振るう剣の透徹した輝きは、彼自らの魂と体の 奥深くに巣くう邪悪な敵を討ちはたす。-- 植芝盛平 (合気道の創始者)


戦士または執事の敵は自分の中にある。敵は「神聖なるプレゼンス」の状態が自分の存在を中断して経験する「低次の自己」である。なぜならば「神聖なるプレゼンス」が現れる時に「低次の自己」は受動的である必要があり、物事を支配することができなくなるからである。

ああ神よ、哀れな声で安楽と休息と喜びを切望する臆病者の私から私自身をお守りください。 私自身が自分の大敵であり、自分の最も空虚な友であり、自分の最悪の仇であり、私が進むいかなる道でも足枷となるのです。--クリスティーナ・ロセッティ(英国詩人)
その愛と喜びが遍く存在している神(高次の自己)は、あなた(低次の自己)が不在でない限り、あなたを訪れることはできない。-- アンジェラス・シレシアス (17世紀のカトリック神秘家)
身を引け、ハーフェズよ。邪魔をしているのはお前なのだ。-- ハフィス(14世紀のイスラム神秘詩人)

戦士の武器は「神聖なるプレゼンス」の状態に到達する喚起を象徴している。

武器は知恵の道具、目に見えない精神的な意識の働きを意味する。気づきがないことを避けるための知恵の武器を準備すれば、常に心の自律的存在になり、生活の宝石が損傷されることはない。
-- 「劉一明」(18、19世紀、道教の老師)

剣と弓を持つ文殊菩薩、 15世紀(チベット)



心のなかで神を想起すること、それこそ我々が敵と戦うための剣である。-- スーフィーの箴言
訓練された敵と剣での戦闘に従事しているかのように、精神的な試練の打撃をかわし、一所懸命それらを攻撃する必要がある。-- シャンティデーヴァ(7世紀のインドの僧侶)
私たちの戦いの武器は、物理的なものではなく、神のおかげで力を持つものであり、空想を破壊する。-- 聖書、コリントの信徒への手紙二10章4−5話




矢を射るファラオの浮き彫り。
彼の背景には、 弓と矢を持っている腕を
除いては目に見えないアメンラー神が立っている。
第19王朝(エジプト、アブシンベル、ラムセス二世の寺)




聖典の偉大な弓に献身の矢を置きなさい。次に、瞑想の弦を引いて、愛の主というターゲットを狙う。 真言は弓で、志望者は矢で、主はターゲットである。さて、瞑想の弦を引いて、標的に命中、彼と一つになる。-- ウパニシャッド(ヒンドゥー教のテキスト)

「現在に存在する」と、戦士のような執事と「低次の自己」の間の闘争を経験する。 「低次の自己」は現在に集中することを中断するためにあらゆる思考をもたらし続けている。 執事は、これらの思考に耳を傾けることなく、現在の瞬間に注意を集中するために喚起し続けている。



自分の頭の中の戦いを観察するマンジョン
(ペルシャ)


敵に良い思考という矢を放ちなさい。-- シナイのフィロテオス『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)
良い考えが邪念を破壊するために、我々は今、思考の敵と戦う必要がある。本当の戦争、重要な戦いはこの戦争である。
-- ルーミー(13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人)

善い思考の「内的な意味」は、「プレゼンス」を喚起する思考である。これは道徳上で優れている思考を示すことではない。同じように道徳上の善行の「内的な意味」は実際に「内なる神」を目覚めさせる行為を示す。眠りの状態で行われる道徳上のすべての善行は、ただそれだけであり、目覚めることに役立たない。




植芝盛平(1883-1969)は合気道の開祖であり、「言霊」の技術の中で最も有名な現代の提唱者の一人であった。「言霊」というのは神道に由来する神聖な音を唱える技術。「言霊」の文字通りの意味は「言葉に宿る精神」である。それは正しく唱える美しい「単語」の音によって精神的な状態または感情を誘導することを示すと言われている。

合気道は精神的な科学である。精神的な科学は、島々や神々が「天の浮橋」の上の神の働きを通して生まれてから始まり、「言霊」の素晴らしい働きを通して実現された。そのため、合気道は人間によって作成された武術ではなく、宇宙が作成される前には、すでに最初から完成された。 -- 植芝盛平
神は敵を圧倒するために、あなたを言葉の兵士で取り囲んでいる。-- ルーミー

言い換えれば、「プレゼンス」を喚起する短い言葉によって「神聖なるプレゼンス」の状態を誘導することである。「言霊」は美しい言葉の音を正しく唱えることによって「善」をもたらし、醜い言葉の音または美しい言葉の音を間違って発音することによって「悪」をもたらすという概念を包含している 。「善」というのは「高次の自己」が目覚めていて「低次の自己」を興味深い見知らぬ人として経験する、「神聖なるプレゼンス」の状態を示す。「悪」というのは「高次の自己」が眠っていて、頭の中に回っている思考や感情を自分として経験する状態である。これらの「言葉の兵士」または「言霊」は、それ自体は力を持っていない。

南無阿弥陀仏の六文字を発する僧・空也上人、康勝による 、
13世紀(京都、六波羅密寺)

言葉はただ言葉で、心なしには、それらは意味がない。 -- 中国語のテキスト
マントラの秘密は、意図的に隠されているものではない。それは有能な尊師の指導の下で、自己規律、
集中、内側の経験、洞察力、および継続的な鍛錬
によって獲得しなければならないものである。 -- ラマ・アナカリカ・ゴビンダ、「チベットの神秘主義の基礎」


どのようにマントラを使用するか、そして最も重要なことは、どのように心を活性化するかを学ばなければならない。「存在(Be)」を言うことによって自分をその瞬間に呼び戻すときに、心が伴っている場合、「現在に存在する」ことができる。心が伴わない場合、 つまりその瞬間に関わっている別のことを「現在に存在すること」より大切と思うなら、プレゼンスは起こらない。「醜い言葉の音」または「美しい言葉の音を間違って発音すること」は、自分をその瞬間に呼び戻すときに心が伴わないことを示す。

合気道は言霊の最高の仕事であり、普遍的な浄化の偉大なる道である。 
-- 植芝盛平
戦士は常に平和のための生と死の闘争に従事している。 -- 植芝盛平

平和というのは「執事」がしばらくの間、「低次の自己」がもたらす多くの思考に中断されることなく、現在の瞬間に注意を集中した後に来る長く継続する「プレゼンス」の状態を指す。植芝盛平は、神道の実践についての深い知識を持っていた。 彼は「一霊四魂三元八力」の原理を説明するために、三角形、円と正方形の象徴を使用した。植芝盛平は一霊四魂三元八力の原理がすべての宗教宇宙論に存在すると信じていた。

私は二つになる一つのものであり、二つは四つになり、四つは八つになり、それから私は再び一つになる。 

-- エジプトのテキスト


 四面がある塔
(カンボジア、アンコールワット、バイヨン寺院)


私はアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。-- 聖書、ヨハネの黙示録22章13話
この四つは神として一つで、一つは四つである。 しかし、我々は神の単純さを把握することはできない。我々は彼が一つであると理解するように努めているが、彼は 四面性をもって、我々の前に現われる。 -- クレルヴォーのバーナード(12世紀フランスの修道院長)


第八番目の日は、自然および時間を超えている状態の質を予告する。-- マクシムス・コンフェッソル『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)
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「第四の道と秘教的な伝統」⎟ 「西遊記」⎟ 「神聖なるプレゼンスの技術」


英語: The Secret of the Golden Flower ⎟ The Taoist I Ching ⎟ Being Present First


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