文化

文化という言葉は一般的に次のように使用される。

1. 美術と人文科学に対する熟練した鑑識力 
2. 民族を特徴づけられる共通した姿勢、価値観、目標点、習慣

英語では「culture」(文化)という言葉は「cultivate」(育成)という動詞と根元が同じである。

心を修めれば、大いなる道が生じてくる。-- 西遊記
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自分自身を育成する(自己鍛練)というのは文化のさまざまな側面から自分を教育することを意味する。 自分の「高次の自己」を目覚めさせたい場合には、自分の心を養わなくてはならない。つまり「現在に存在する」欲求を育成するという意味である。 華道、書道、茶道、弓道、柔道、剣道などの日本文化のさまざまな側面は、昔はすべて「高次の自己」を目覚めさせるための道であった。それらについての知識は常々密かに師匠から弟子へと伝えられていった。 「内的な意味」が理解されていた頃には、すべてのこれらの修養は「内なる神」を目覚めさせる方法であった。

狭き門から入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者が多い。命にいたる門は狭く、 その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
-- 聖書、 マタイによる福音書、7章、13ー14話

Torii, creating a pathway, at the Fushimi Inari shrine, Kyoto

A door with a narrow gate at the Tomb of Mehu at Saqqara in Egypt
















「道という考えを理解する主な難しさは」、グルジェフは言った、「人々が通常、道は(彼はこの言葉を強調した)人生に起こることと同じレベルで開始すると思っているという事実にある。」「これは非常に間違っている。道は別の、はるかに高いレベルで開始する。」-- ウスペンスキー(20世紀第四の道の神秘思想家)

「道」の内的な意味は「神聖なるプレゼンス」に達する道であり、これは、さまざまな教えにおいて、よく正道や道のりに例えて示されている。

スーフィーは、現在の子である。悟りに至る道にいる人は誰も「明日」とは言わない。
-- ーミー(13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人)
の終わりにいる人々の心は神の想起に絶え間なく占められている。
-- イブン・アタ・アラ(12世紀のエジプトのスーフィー)

今日でも、生け花の精神的な側面は、その実践者にとって非常に重要であり、花を生ける時に沈黙は必要である。これは、人々が往々に忙しい生活の中で見過ごしている自然界にあるものへ感謝する時間である。花を生けることは、自然界ばかりでなく社会一般へのさらなる忍耐と寛容を学ぶことである。これらの実践や姿勢は人々が「内的な意味」を理解できていた頃には、人々へ「神聖なるプレゼンス」の状態をもたらすために心を教育する方法であった。「高次の自己」が目覚めていれば、人は自分と周りの世界に対してとても寛容になることができる。

菖蒲の生け花

手水鉢に示された文字:吾/唯/知/足
意味:高次の自己が目覚めるとすべてにおいて満足する
(京都、龍安寺)

















茶道は、式典や儀式ではなく、純粋な心でお茶を淹れる単純な行為に基づいている生き方である。 
-- 裏千家の十五代目家元、千宗室
清らかなる霊台に雑念も生まれず。 --西遊記

「現在に存在する」状態を達成するために、これらの芸術を週に数時間練習するだけでは十分ではなく、それらは生き方への指針にならなければいけない。すべての瞬間には、自分の生活に対して「現在に存在する」機会が含まれている。 下の写真はどちらも、「高次の自己」が存在している状態を表し、口が無くハート型の頭は、純粋な心を象徴している。

ハート形の顔の土偶
縄文時代(10.000〜1000年)

アフリカのマスク(ジュネーブ、バルビエミューラー美術館)
















 

日本人は簡単に自分の意見や感情を表現しないので、初めて日本を訪れる西洋人は、通常日本人が感情を示さないことに、冷たい印象を持ってしまいがちである。 しかし、日本人が西洋人のように素早く自分の感情を表現しないということは、必ずしも彼らが無感情という意味ではない。 強い肯定的または否定的な感情を表現するのは、美徳や美意識に反するという概念が日本文化に深く根付いている。

自分の感情を顔に表すことは、武士に男らしくないと考えられた。 「彼は喜びや怒りの兆候を示しませんが」、という言葉は強い人物を説明する際に使用された。-- 新渡戸稲造、武士道

日本人の母親は、子供たちにこれらの考え方を教える。この概念はどこから来るのだろうか? 秘教的(エソテリック)な伝統においては「神聖なるプレゼンス」の状態に到達するためには、低次の自己を制御することを学ぶ必要があると教えられている。そのため、感情を制御し、機械的ではなく意識的に表現することを学ぶ必要がある。 したがって高次の自己を目覚めさせたいならば、まずは、特に否定的な感情を機械的に表現しないように努力する必要がある。  

A fresco by Giotto showing 'envy' (Scrovegni Chapel, Padua, Italy)

否定的な感情の表現は、常に機械的なので、役に立つことはありません。 しかし、それへの抵抗は意識的である。-- ウスペンスキー(20世紀第四の道の神秘思想家)
自己改善において重要な点は、怒りと欲望を制御することから始まる。怒りのエネルギーは、対立があるときに噴火し、生命に無関心で、爆発しやすい邪火である。その様子は、大火が山を焼くのを阻止することができないようである。もし懲らしめることに努めなければ、鍛練は煙も炎も出ないものになり、最高に充足していたとしても真[本物]が欠落することになる。
-- 「劉一明」(18、19世紀、道教の老師)
美徳は心の、制御・自制・喜びである。そうすることは、すべての仏が通る道である。 -- 仏陀、「パリ・ティピタカ経典」

肯定的または否定的な強い感情を表現するのは、美徳や美意識に反するという概念は、意識的スクールから来た名残である。しかし、「内的な意味」を理解できなくなっているために、この意図的な態度は機械的な態度となる。 否定的な感情を表現することは、確かに美徳に欠けることだが、重要なのは内的の意味である。 内的な意味は、自分の感情に囚われると「現在に存在すること」ができないということ、なぜなら人は低次の自己に制御されているからである。「現在に存在する能力」が十分に強くなっていくにつれ、現在に存在しながらも同時に感情を思いのままに表現することができる。

努力から始めて、自然な原則に完全に統合して後に、あなたは自発的になる。しかし、この科学には薬物があり、火候[火加減]があり、作業の過程があり、強化および弛緩があり、そしてそれは十分であるときに、止める必要がある。その法則に従って実践し、適切なタイミングで開発する場合しか、あなたはその驚異に進出することができません。だから、「陽」を進める火候[火加減]を知る必要がある。
--「劉一明」(18、19世紀、道教の老師 ー道の易経
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「第四の道と秘教的な伝統」⎟ 「西遊記」⎟ 「神聖なるプレゼンスの技術」


英語: The Secret of the Golden Flower ⎟ The Taoist I Ching ⎟ Being Present First


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