真言

私にゃ呪文がありましてな、「定心真言」と申します。-- 西游記

真言宗とは「秘密仏教」の本質を伝えるマントラの単語や音節を示す。 密教はインドで7世紀に栄え、9世紀に空海によって中国から日本にもたらされた。すべての秘教的(エソテリック)な伝統は、神の言、プレゼンスの言、神言、音節、または真言について言及している。これらのすべては自分を「プレゼンスの状態」に至らしめる一単の言またはマントラを示す。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 -- 聖書、ヨハネによる福音書、1章1話
真実の道を示して、神言を教えてくれる人を自分の教祖としなさい。
-- グル・ナーナク 16世紀の最初のシーク教の教祖)
あなたが「プレゼンス」の言葉が何であるかを尋ねたら、我々は「存在 'Be'」と答える。
-- イブン・アラビ ー (12世紀、イスラム神秘主義者)
神に到達するという目的をしっかり掴みたい、そのためにもしその目的を一つの考えに包まれるようにしたいのであれば、 一つの音節の短い単語を使いなさい。これは二つの音節がある単語よりも優れている。
-- 匿名の英国人のモンク

大日如来

大日如来は「密教」の中心的な神である。大日如来は、エジプトの太陽神ラーや神道の神・天照大神と同じように、長く継続する「プレゼンス」の状態を象徴している。 大日如来は「法身」の体現である。「法身」も長く継続する「プレゼンス」の状態の象徴である。

運慶による、智拳印を結ぶ大日如来
(奈良県、円城寺、12世紀) 

仏陀の身体に重ねられた五大

「密教」の教えは「要素は仏陀の、すべてに浸透する秘密の身体である」ということを説明している。
-- 空海(9世紀の日本の真言宗の開祖)

大乗仏教において、法身・報身・応身という「三身」の概念が出現した。それぞれの仏教の宗派は、これらの「三身」の意味について異なる考え方をもっている。「応身」はこの世に現れ、人々の前に実在した仏陀である。 「報身」は菩薩が自分の誓いを完了する身で、「法身」は悟りの状態を具体化している。空海が述べる五行は、すべての東洋的な伝統の一部である。 中国の五行は地・水・火・木・金である。日本とインドの五大は地・水・火・風・空、である。五行または五大の名前が異なっているにもかかわらず、その内的な意味は同じである.

顕教のな五大は、一般的に説明されている。 密教の象徴的な五大は五つの音節、五つの仏陀である。
-- 空海(9世紀の日本の真言宗の開祖)

「顕教」または「後天的」の五行あるいは五大の図 
五行は「原初」と「後天的」に区別される。「原初」の五行は出生前に起原し、「後天的」のは出生後に現れる。「原初」のは聖人、「後天的」のは一般な人を生み出す。-- 劉一明(18、19世紀、道教の老師)

「原初」または「密教」の五行あるいは五大如来の図

五大如来、金剛界曼荼羅の一部(京都、京極寺)














五行は「原初」と「後天的」に区別される。「原初」の五行は出生前に起原し、「後天的」のは出生後に現れる。「原初」のは聖人、「後天的」のは一般な人を生み出す。-- 劉一明 (18、19世紀、道教の老師)

密教的または「原初」の五行は、長く継続する「プレゼンス」の状態に到達するための六音節の呪文の最初の五音節または五真言を象徴している。

意識は、それらをすべて浸透させる要素として、土、水、火、風、空間と結合される。 これらは一緒に六大行の普遍的な身体を構成している。 -- 山崎 泰広『真言宗、日本の密教』

大日如来「摩訶昆盧遮那」(マハー・ヴァイローチャナ)は、長く継続する「プレゼンス」の状態に到達するためのマントラの最後の音節を象徴し、「昆盧遮那」(ヴァイローチャナ)はマントラの最初の音節を象徴している。

真実のすべての発現は、密教の六大で述べることができる。 -- 山崎 泰広『真言宗、日本の密教』
五行をみな把握し置き換えれることができれば、あなたは仏または仙人になれる。-- 西游記

五輪塔

五大の象徴は五輪塔(ごりんとう)にも見ることができる。五輪塔は、主に死人のための供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種である。 肉体の死の内的な意味は、精神的な努力の身体の死、または「報身」(長く継続する「プレゼンス」の状態に到達するための五つの音節)の死である。「プレゼンス」の状態に到達した後、努力の身体はもう不要になったため、いわば「死ぬ」のである。

私の教えは、あなたが真の存在を見つけたときに放棄するいかだである。 -- 仏陀

五輪塔

五輪塔の図


















身体が五大を表わすという象徴はヒンドゥー教から由来した。

五大の身体に、五重のダーラナ(心の集中)がある。
-- ヨガタットバ・ウパニシャッド(ヒンドゥー教のテキスト)

チベット仏教は日本の密教と同じ起源を持っているため、五大と五大如来はその教えの一部である。 チベットの塔でも五大を表わしている。塔というのは仏陀の身体を表わすと言われている。つまり塔は「神聖なるプレゼンス」の状態に到達するための精神的な努力の身体を表わす。

チベットの卒塔婆の図

チベットの卒塔婆



















「報身」とは菩薩が仏陀になるための身体である。それは密教五大、つまり「神聖なるプレゼンス」の状態に到達するための6音節のマントラの最初の5つの音節または5つの真言で構成されている。 仏陀になることは長く継続する「プレゼンス」の状態に到達することを意味する。

仏性とは何ですか? それは単にあなたの完璧な現在の意識である。それは空虚で、ありのままで、目ざめている。-- チベットのラマ
仏陀と悪魔はただ二つの状態を示す。一つは汚い、もう一つは純粋である。
-- 臨済義玄(9世紀の中国の禅僧、臨済宗の開祖)

「法身」とは長く継続する「プレゼンス」の状態を表す。

十鈷杵を持つ空海(和歌山県、金剛峯寺)





六大は四つの法身を生み出す。
-- 空海 (9世紀の日本の真言宗の開祖)
四生と六道はすべて説明される。 -- 西游記







「神聖なるプレゼンス」に到達するためにマントラを使用することは、学ぶ必要がある。マントラ自体は力を持っていないから、単に呪文を言ってもプレゼンスが生じるわけではない。自分が何をしているかを深く理解する必要があり、そして何よりもただ「現在に存在する」願望を心にもたらさなければならない。

言葉はただ言葉で、心なしには、それらは意味がない。 -- 中国語のテキスト
マントラの力と効果は、各人の精神的な態度、 知識と反応性による。
-- ラマ・アナカリカ・ゴビンダ、(20世紀のドイツチベットラマ)

プレゼンスに到達するためにどうやってマントラを使用するかを学習するほかに、人が現在の瞬間に注意を払うことを常に中断する「低次の自己」に気付く必要がある。

身を引け、ハーフェズよ。邪魔をしているのはお前なのだ。
-- ハフィス(14世紀のイスラム神秘詩人)
マントラの秘密は、意図的に隠されているものではない。それは有能な尊師の指導の下で、 自己規律、集中、内側の経験、洞察力、および継続的な鍛錬によって獲得しなければならないものである。
-- ラマ・アナカリカ・ゴビンダ、「チベットの神秘主義の基礎」

不動明王

不動明王は、真言宗の重要な神で、大日如来の化身である。不動明王はもともとヒンズー教の神であり、仏教のパンテオンに組み込まれた。すべての宗教の神と天使たちは「神聖なるプレゼンス」を経験することを可能にする勢い、力や行動、または「神聖なるプレゼンス」自体を象徴している。

もし私が、神が絶対的であり、すべての人間の経験を超えているという事実を受け入れるならば、彼は私と関係ない。私は彼に影響を与えない、そして、彼は私に関わりを持っていない。しかし、神とは私の魂の中の力強い衝動であるということを知っているならば、私はすぐに彼と関わる必要がある。そうすれば、 彼はすべての現実の影響を及ぼす範囲内に属するものと同じように重要になることができる。
-- カール·グスタフ·ユング(20世紀心理療法)
天使たちは人間の潜在能力と器官に隠された力である。-- イブン・アラビー(12世紀、イスラム神秘主義者)

運慶による不動明王
(1195年、神奈川県、浄楽寺)


不動明王の「不動」の部分は、「神聖なるプレゼンス」を体験するために、心は静止する必要があるということを示す。

誤った思考が生じないように心を静止することができる場合には、
涅槃の現実は、自然に現われる。-- 弘忍(7世紀の中国禅宗の五祖)

静止の心の反対は「心猿」である。

古代の賢者は、心を猿に例える。なぜならば、心が荒れて愚かである ときに、それは道の大きな障害になるからである。学習者が
自分の心を制御し、清廉潔白に戻すことができる場合は、 道の本質と生命の半分以上を把握することができる。
-- 劉一明(1734 - 1821)道教の老師


心猿は「低次の自己」が注意を払わない間に、次から次の考えや感情へ飛ぶということを示す。不動の心は、「低次の自己」を認識し、それから分離する「プレゼンスの状態」を示す。 この状態に到達するためには、プレゼンスが現われる十分なスペースがあるように心を静止する必要がある。

心が静かになると、それははるかに心を超えている世界に入ることができる。-- ウパニシャッド
静止とはすべての思考、神聖な思考さえも排除することを意味する。 そうでなければ、それらに我々の注意を払うことで、私たちはより良いものを失う。
-- シナイのグレゴリー『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)

プレゼンスの状態が十分な強さになったら、それは、低次の心と共存できる。そのとき、<私>という感覚は観察するもの、つまりプレゼンスの状態にあり、もはや頭の中でぐるぐるまわる思考や感情ではない。

思考から自由になるというのは、思考の真っ只中にあって思考を持っていないことを意味する。
-- 慧能(7世紀の中国禅宗の六祖)

不動明王は通常、摩擦をプレゼンスの状態に変容することを象徴する炎に囲まれている。

不動明王、9世紀

人間は自分のすべての欲望に屈し、またはそれらに迎合するなら、彼に内の葛藤・摩擦または火はない。しかし、 明確な目的を達成するために、彼を妨げる欲望と戦うなら、彼は徐々に内面世界を一つの全体に変えていく火を作成する。
-- ウスペンスキー(20世紀第四の道の神秘思想家)
火自体の真ん中に座ることができる者は非常に少数である。
-- ルーミー (13世紀、スーフィーのマスター、神秘詩人)

自分の内的な弱点と戦ったり、他人の不快な症状を受け入れようとすると、摩擦が生まれる。自分の内面で叫んでいる複数の思考や感情に耳を傾けるのではなく、その代わりに現在の瞬間に焦点を当て続けるならば、これらの思考や感情が燃えてなくなるという変容を体験することができる。そうすると自己認識の奇跡的な感覚を伴う、内的な平和を感じる。

現在、私は自分を知っている。そして自分の中にこの世のすべての
自尊心を超える平和を感じている。-- シェイクスピア『ヘンリー八世』


自分を「低次の自己」に執着させる思考や感情の網から自分を解き放つことは簡単ではない。それは特別な知識と道具、それらを使用する練習を必要とする。不動明王は、片手にプレゼンスの状態に到達するための道具を象徴する剣を持ち、もう片方の手にロープを常に持っている。

賢者には智恵の剣で妄想と戦わせなさい。-- 仏陀

知恵の剣というのは「低次の自己」のアイデンティティを保持する思考や感情の執着を切り離すことができる知恵である。

Fudō Myo-o - the immovable King of Light holding a six-pointed Vajra sword (by Ukei, Ganjojuin temple, Shizuoka, Japan)
慧剣歌

古来、至人は剣の奥義を伝え、
それを操る真の力が、完全に、
まことに揺るぎなく守られてきた。

道を学ぶ人がこの奥義を知るとき、
陽神(陽の精神)は猛烈に強まり、
陰魔は滅びる。

その源泉の探求について
誰かが尋ねたなら、
私はこう言おう。
それは尋常な鉄ではない。
この鉄塊は、
受容的な静けさから生じてくる。
手に入れれば、それは上昇する。

On the left, the hexagram 'Return" with one yang and five yins, on the right the hexagram "Heaven" with 6 yangs


「一陽」が戻った時点で作業に取りかかると、
最初に「六陽」が炉のふいごを動かし、
つづいて「六陰」が、
やっとこと金槌をはたらかせる。
火功を終えれば、この剣ができあがり、
最初の完成で稲妻のごとき閃光を放つ。

A sword with six branches called the seven-branched sword, Isonokami Shrine, Nara Prefecture, Japan


この宝剣は本来無形であり、その霊的な働きによって
名づけられている。
道(タオ)の学びと真理の修行は
この剣によるものであり、
この剣なしに、道は成りがたい。
-- 中和集』 慧剣歌、李道純

アラーに固守する人は、切れ目のないロープにしがみつく。 -- アル・ブサイリ(7回世紀のイスラム教徒)

ロープは神道の注連縄と同じように、プレゼンスに固守する途切れない努力を象徴している。 注連縄の意味は「注意を接続するロープ」である。



運慶による不動明王
(1195年、静岡県、願成就院)


不動明王は、思考や感情が「プレゼンス」の状態を乱すことを許可しないように、固い決意を象徴する怒りに満ちた表情をしている。

邪悪な思考が近づくと気づいたときには、心からの呪いを憤然と投げつけましょう。 --エルサレムのヘシキウス『フィロカリア』(ギリシア正教の修道僧による文献)
ひどく怒った神々(Wrathful Deities)はただ、啓発の動的な側面であり、仏になり悟りを達成するプロセスである。 英雄と恐ろしい恍惚の像は、想像を絶するような、知的には達成不可能なことを突破する行為を表現している。 -- ラマ・アナカリカ・ゴビンダ、(20世紀のドイツチベットラマ)「チベットの神秘主義の基礎」


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「第四の道と秘教的な伝統」⎟ 「西遊記」⎟ 「神聖なるプレゼンスの技術」


英語: The Secret of the Golden Flower ⎟ The Taoist I Ching ⎟ Being Present First


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