阿弥陀仏

五大如来(金剛界曼荼羅の一部)9世紀(京都、京極寺・東寺) 


阿弥陀仏は、五大如来の一つである。これらの如来は、瞑想するとき(「現在に存在する」努力をするとき)に使う象徴であり、実際に地球上に住んでいた仏ではない。これら如来は4つの方角とその中心の1つにそれぞれの浄土(清浄で清涼な世界)がある。  

仏陀が死去した四〜五百年後に、多くの新しい仏教の経典が登場し、新しい秘教的(エソテリック)な勢力がインドで発生した。この仏教は、仏陀が死去した直後に編み出されていた小乗という仏教とは対照的で、後に大乗と呼ばれる。小乗と大乗という「乗」の内的な意味は、向こう岸に到達するための道具や技術を指す。向こう岸は「現在に存在する状態」を象徴し、こちら岸は人間が日々心理学的に未覚醒な状態を象徴している。


経典を読み仏の名前を暗唱することによって、覚醒の彼岸に達することができる。 乗り物で川を渡って彼岸に達した後は、その乗り物を放棄し、道を急ぎなさい。 
-- バスイ (14世紀のイスラム神秘詩人)
「そこの和尚!そなたが説いているのは、小乗の教えのみだぞ!大乗の教えを説くことはできるのか?そなたの小乗の教えでは、亡者を済度して昇天させることはかなわねぞ。それでは俗塵に混じって光を隠してしまうばかりだ。私のところには大乗仏法の三つ蔵がある。これならば、亡者を済度して昇天させることができ、
難儀している者を苦から脱出させることができる。また、無量の寿命を受け、無来無法の如来の法身になることもできるのだ。-- 西遊記

阿弥陀仏、11世紀 (京都、平等院寺)

大乗の経典の中には、新たに阿弥陀仏の浄土が記され、阿弥陀仏を崇拝する宗派が派生した。この浄土に到達することによって六道の輪廻転生から自分自身を解放することができる。仏教とヒンドゥー教によると、死後、人間は無限に六道の中の一つに生まれ変わる。 これらの六道は以下の通り:地獄道、餓鬼道、畜生道、人間道、修羅道と天道。

輪廻 (サンサーラ)は、複数の自分の思考にすぎない。 

-- ウパニシャッド

この概念の内的な意味は、これらの六道が、人間の思考や感情の六つの種類を表しているということである。

多くのことを観察した結果として、私は天使の思考、人間の思考、そして悪魔からくる思考の間にある違いを見分けることを学んだ。 
-- 孤独者エヴァグリオス『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)
あなたは悪魔、野獣、天使そして人間である。このうちのどれを養うかに応じて、あなたはまさにそのどれかとなる。
-- カシャニ (17世紀のペルシャの詩人)

六道輪廻図のチベットタンカ(サンフランシスコ、アジア美術館)

このチベットのタンカは,それぞれの六道の画像の中心に仏の姿があるということを示している。地獄の悪魔は否定的な感情を象徴し、餓鬼は強い欲求、畜生は我々も動物と共通して持っている食料と繁殖の衝動、人間は高貴な思想を象徴している。阿修羅は「現在に存在すること」に関する以外の、自分に対する精神的なワークに関連する思考である。天道の神様は「現在に存在する努力」を奨励する思想を指す。

もし私が、神が絶対的であり、すべての人間の経験を超えているという事実を受け入れるならば、彼は私と関係ない。 私は彼に影響を与えない、そして、彼は私に関わりを持っていない。しかし、神とは私の魂の中の力強い衝動である ということを知っているならば、私はすぐに彼と関わる必要がある。そうすれば、 彼はすべての 現実の影響を及ぼす範囲内に属するものと同じように重要になることができる。
-- カール·グスタフ·ユング(20世紀心理療法)

阿弥陀仏の浄土は、心の中の六つの種類の思考や感情を浄化させた「神聖なるプレゼンス」の状態でる。


純粋な心の出現は、浄土である。-- 慧能(7世紀の第六禅宗の開祖)
私は、純粋、純粋、純粋、純粋である。 -- エジプトのピラミッド・テキスト

この状態は、必ずしも自分が思考や感情を持っていないということではなく、「私」(高次の自己)からかけ離れた部分にこれらの思考や感情があるという意味である。 プレゼンスの状態を経験すると、それらの思考や感情に囚われることがない。その思考や感情を観察する部分、つまり「本当の私」または「内なる神」は純粋である。

空観を実践しているときには、 万物を破棄しえないことを知りながら、 それらを気にとめないようにする。
-- 金花の秘密『太乙金華宗旨』
思考から自由になるというのは、思考の真っ只中にあって思考を持ってないことを意味する。
-- 慧能(7世紀の第六禅宗の開祖)

高次の自己が目覚めて、浄土、つまりプレゼンスの状態に生まれて、多くの思考や感情を何か自分自身とは別のものとして見ている。

立ったり、散歩したり、座ったり、横たわったりするというすべての場面で、私たちは絶対に無条件でいよう。そして、我々の聖域に留まってまったく移動せずにいれば、
我々は実質的に浄土の王国にいるだろう。

-- 慧能
(7世紀の第六禅宗の開祖)

確固たる信念を持って、「南無阿弥陀仏」を繰り返すことにより、この浄土に再生することができると言われている。

「舎利弗よ、もし善良な者が阿弥陀仏の名号を聞いて、
その名号を心にとどめ、あるいは一日、
あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、
あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日、
一心に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするときに、
阿弥陀仏が多くの生者たちとともにその前に現れてくださるのである。
するとその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、
ただちに阿弥陀仏の極楽国土に生まれることができる。」
-- 阿弥陀経
(仏教の経)

南無阿弥陀仏の六文字を発する僧・空也上人、康勝による 、13世紀(京都、六波羅密寺)

一日は神の名前を繰り返して言う「一つの呼吸」を象徴する。夜は吸気で、昼間は呼気を指す。

「一日」が「一呼吸」に例えられるのを見つけるでしょう。
-- クレルヴォーのバーナード (12世紀フランスの修道院長)

七日目または七回目の呼吸は、阿弥陀仏の浄土、つまりプレゼンスの状態で再生することを象徴する。

七という番号は神の休息のために用意されている。
-- リヴォーのアウレッド (12世紀の英国の作家や修道院長)

「その人がいよいよ命を終えるとき」という阿弥陀経の言葉は肉体の終わりを意味するのではなく、精神的な身体の努力の終わり、または「六の言葉に含まれている祈り」の終わりを意味する。 すべての秘教的な伝統に、神々の名前を繰り返して言う祈りがある。この祈りの 「内的な意味」は、「内なる神」が目覚めている「神聖なるプレゼンス」の状態に到達するため、自分の呼吸とともに「プレゼンス」を喚起するために短い言葉を使うことである。

「アラー」という名は神聖なるプレゼンスを意味する。 -- イブン・アラビー(12世紀、イスラム神秘主義者)
あなたが「プレゼンス」の言葉が何であるかを尋ねたら、我々は「存在 'Be'」と答える。 -- イブン・アラビー
私は神である「オウム」という言である。-- バガヴァッドギーター 7章8話 (ヒンドゥー教のテキスト)
あなたの心に、すべての呼吸とともに神のことを歌わせなさい。 あなたの良い行為はあなたを生と死のサイクルから救う。 -- グル・ナナック (16世紀の最初のシーク教の教祖)
私は神の名を言うことによって、罠から抜け出している。 
-- ラビダス(15世紀のインドミスティック)
心が絶え間なく主の名を繰り返しながら、知性が神への祈りにすべての注意を与えるとき、 光が輝く雲のように魂の全体を満たす。 -- テオレプタス『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献)

確固たる信念を持って阿弥陀の名前を繰り返すことの「内的な意味」は、現在に存在することへの誠実な願望を持っている必要があるということである。この願望なしに、単に神の名 — 「プレゼンス」を喚起するための短い言葉 — を繰り返すと「神聖なるプレゼンス」の状態が発生しない。

心を伴わず、舌のみで、神の名前を繰り返すのは無駄である。-- スルタン・バフ(17世紀のスーフィー神秘)

定慶による六観音菩薩、1224年(京都、大報恩寺)

日本では六観音菩薩や六地蔵菩薩の彫像はよく見られる。この六菩薩は六道にいるすべての人々を守ると言われている。 空也上人の口から出る六仏とチベットの六道輪廻図の六仏(ともにページ上部の写真を参照)はどちらもこの六観音菩薩と同じように、一体一体それぞれが想起の一呼吸を示す。 彼らはすべて「神聖なるプレゼンス」の浄土に到達する六音節を象徴する。

精神的な意識のすべての変化は、心に基づく。実に確かな効き目のある呪文がある。それは非常にとらえがたいので、最高度の知性と明晰さ、 そして完全な受容性と静謐さが必要とされる。 この最高度の知性と理解力をもたない者は、道を見いだすことがない。 この受容性と静謐さをもたない者は、それをしっかり保つことができない。-- 金花の秘密『太乙金華宗旨』

六地蔵菩薩(パリ、 ギメ美術館)























心から由来する「10世界」
(江戸時代、京都、大覚寺)

六道に加えて、さらに4つ目覚めている存在の領域がある。これらは、6つの領域と結合し「10世界」を形成する。 

1. 地獄道
2. 餓鬼道
3. 動物
4. 人間道
5. 修羅道
6. 天道
7. 声聞
8. 縁覚
9. 菩薩
10.仏

これらは、「ビシュヌ神の10の化身」と同じ象徴である。 最初から第六番目の化身においてその存在のレベルが徐々に上昇していることは、六音節の呪文を唱えることによって「現在に存在する状態」がだんだん強くなることを象徴している。最後の四つは悟りを開いている存在であり、ビシュヌの四つの最後の化身のように、「プレゼンス」の状態を長く継続させる四つの呼吸を象徴している。


十方が、我々の輝く明るい真の自己である。-- 道元(13世紀、日本の禅師)

6つの大きな地蔵菩薩と4つの小さな地蔵菩薩(東京、南谷寺)
English 日本語

「第四の道と秘教的な伝統」⎟ 「西遊記」⎟ 「神聖なるプレゼンスの技術」


英語: The Secret of the Golden Flower ⎟ The Taoist I Ching ⎟ Being Present First


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